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悲惨なデイトレ戦績&10年間他人と話さない壮絶な孤独になった経緯

最初に今日のデイトレ結果だけ報告しておきます。

売買損益(2021年7月15日)

【画像】松井証券

さて、今日はTwitterで予告した通り「専業になってからの超悲惨な戦績」と「何故、10年もの間、他人と話すことが無いような状況になってしまったのか」について書きます。

ですから、興味の無い方は読まないでください。
(内容も壮絶なので気分が悪くなる可能性があります)

 

もし読んでくださったのであれば、正直に「あなたにはデイトレは無理だよ」とか「このまま続けても勝てないと思う」とか、気を遣わずに正直に教えて欲しいんです。

「余計なお世話」なんて逆ギレしたりしませし、結果的にデイトレをやめることになっても「正直に言ってくれた方に感謝」すると思いますので。

 

私はプライドが高いので、自分の失敗を公開するのには抵抗がありますが、ここまで切羽詰まってくると「そんなことも言ってられない」という心境になりました。

デイトレのことも、私のバックボーンであるこれまでの人生も全て開示して、それで「デイトレは向いてない!」と言われたら素直に諦めようと思います。

それでは、今年の大発会から今日までのデイトレ戦績から書いていきたいと思います。

今年のデイトレ戦績

私が専業になったのは、今年の大発会からです。(ちなみに、それまでは仮想通貨やCFDで大損していましたので、これまでの人生で投資で1度たりともプラスになったことがありません)

楽天証券でデイトレを始めて、その後松井証券を使うようになって現在に至ります。

今日までの売買損益

今年の売買損益(2021年楽天証券)

【画像】楽天証券

楽天証券の売買損益がー526201円

売買損益(2021年松井証券)

【画像】松井証券

松井証券の売買損益がー640123円

ですから、今年の売買損益はー1166324円のマイナスということになります。

今日までの勝率

みなさんのTwitterのデイトレ結果の報告ツイートを見ていると、「勝ち続けている方」や「勝ったり負けたり」という方が多いですが、私の場合「圧倒的に負けているのでは…?」ということで調べて見ました。

 

日ごとの勝率(2021年楽天証券)

※ 自作のデイトレード記録

 

2021年1月5日から7月15日までの日ごとの勝率は41.5%(勝ち54日・負け76日)です。

楽天証券を使っていた3月29日までの日ごとの勝率は36%、松井証券を使うようになってから今日までの日ごとの勝率は46%なので、若干勝率は上がったものの勝率50%以下

ちなみに、私は本職もありませんし天涯孤独で家族などもいませんので、株に使っている時間はかなり多いと思います。

「努力すれば勝てるというものではない」とか「努力の方向性が違うのでは?」と思う方もいるかもしれませんが、株に使っている時間を考えると「さすがにむいてないのかな…」と思ってしまいますね。

どう思いますか?
こんなにデイトレの勝率が悪い人っているんですかね…

10年間も他人と話すことが無いような状況になってしまった経緯

実は先日、Twitterに「10年も他人と会話してないとか嘘乙。デイトレで勝てないからって同情を引くなよw さっさとデイトレやめて死ねば?」というDMがきました。

頭にきて「アカウントを晒してやろっかな!」と思った反面、「『10年会話無し』は普通は信用できないよね…」とも思ったんですよね。

そこで、思い切ってこのような状況になってしまったリアルを書いてみようと思いました。

プライドを捨てて正直に書きますので、「そこまで病んでるなら無理だよ」とか「そんな状況で専業トレーダーとか無謀すぎる」など、率直な意見を頂ければありがたいです。

客観的に自分の置かれた状況を見つめ直す参考にさせて頂きます。

超ネガティブな幼少時代

私の人生を語る上で「幼少時代」や「家庭環境」を切り離すことができないので、前置きが長くなりますが遡って書きます。

私が育った環境は「何でも買ってもらえる」というような裕福な家庭ではありませんが、「今日・明日食べるものに困る」というようなこともない中流家庭でした。

両親ともに学校の教員だったので「ちゃんとした家庭」のように思われていましたが、それは「外から見ると」であって「内情」は悲惨だったんです。

 

父親は超DV野郎で、私は物心ついたときから「父親の怒鳴り声や暴力」に常に怯えていました。

体中痣だらけ。
頭蓋骨が陥没しているところもあります。(母親から聞いたのですが、父親が赤ちゃんの自分をぶん投げたらしいです)

暴力だけでも耐えがたかったのですが、更に長時間のお説教がメンタルにきましたね。

夜中まで怒鳴られ続けたかと思ったら、翌日学校を休まされて1日中説教なんてことが頻繁にあったんです。

父親の怒鳴り声や暴れたときの音を聞いた近所の人が「何事だ!?」と驚いて警察に通報したり、近所から「うるさくて迷惑している」とクレームが入って引っ越ししたことも1度や2度ではありません。

ちなみに、母親は完全に父のDVにビビッてしまっていたので助けてはくれませんでしたし、自分がDVの対象になりそうになると弟だけ連れて家出してしまうので、暴れ狂う父親と二人っきりという生きた心地がしない経験もしました。

ただ、今のようにDVで逮捕される時代でないこと、父親は外面は良かったことで、そのような地獄が永遠と続いたんですよね…

ですから、私は暗く大人しい子供になってしましました。(大人になってから見て驚いたのですが、私が子供の頃に描いた絵は暗い色のクレヨンで書かれたものばかり… 完全に病んでました)

2度の人生の転機

めちゃくちゃ大人しい子供だったので、小学生のときはとにかくイジメられました。

家では父親の暴力や暴言に怯え、学校では同級生からの理不尽なイジメを受けるのですから、気が休まることなんてありません。

どんどん人間不信に陥って、自分からは同級生に話しかけることも無くなりました。

小学生のときに「自殺しようかな…」って何度も考えていたので、かなり病んでいたと思います。

あまりにイジメられまくる自分を見て、クラスの女子が守ってくれたことがあったのですが、子供ながらに本当に情けなかったですね。

 

そんな私に1度目の人生の転機がきたのは小学校5年生のときでした。

引っ越しをしたら通っていた小学校の学区を外れてしまったので、隣町の小学校に転校することになったんです。

もともとの小学校は公立ではありますが「中学受験をするような生徒が多かった」のに対し、転校した小学校は「勉強熱心ではないけど、明るくて友好的な生徒が多い」学校だったんですね。

ですから、転校生の私をめちゃくちゃ好意的に受け入れてくれて、いきなりクラス委員に推薦されてしまったんです。

前の学校ではイジメられまくっていましたし、まともに同級生と話もできなかったので、「クラス委員なんて冗談じゃない!」と思った反面、こんなことが頭に浮かんできました。

「この学校にはこれまでの自分を知っている人はいない。暗い自分を変えるなら今しかないのでは!?」

結局、クラス委員を引き受けたことで、人前で話さなければならなくなり、以前よりはマシな小学生になることができました。

 

2度目の転機は18才のときでした。

相変わらず父親のDVやお説教は続いていましたが、自分の体も大きくなったことで「殴られても死ぬわけでもない」と死の恐怖は無くなりました。

子供の頃と違って中高生くらいになると「いかに父親が理不尽か」が分かるようになったので反抗したことがあるんです。

ただ、父親は柔道黒帯ですので絞め落とされたこともありますし、一番ヤバかったときは「お前を殺して俺も死ぬ!」と台所の包丁を振り回されたこともありました。

家から逃げ出せなければ、今頃生きていなかったと思います。

「お前の教育が悪い!」と母親もDV被害を受けるので、結局は反抗するのをやめたんですけどね…

 

そんな状況に我慢の限界になり、私は高校卒業の日に「自転車で家出」する決断をしました。

父親の理不尽な暴力やお説教に我慢の限界を感じていて、「このまま一緒に暮らしていたら殺してしまいかねない」と思っている自分が怖くなってきたからです。

偏差値60くらいの高校だったので、大学進学をする同級生も多かったのですが、私は「1日も早く地獄のような家から出たい」と思っていたので迷いは無かったですね。

たまたま、私のように家庭環境が複雑な友人がアパートでひとり暮らしをしていたので、「半年以内にお金を溜めて出ていくから!」という約束で居候させてもらいました。

ただ、人生そんなに甘くないですね。

大卒じゃなければ入れない会社も多いですし、そもそも普通科の公立高校卒なんて何の資格も技術もないので簡単に雇ってもらえません。

ですから、しばらくはアルバイトで凌ぎました。

働き続けて成功を勝ち取る

しばらくアルバイトをしていましたが、時給900円では生活するだけではお金は右から左りへと無くなってしまいます。

ですから、「家出して父親との地獄の日々からは解放されて浮かれていたけど、いつまでもアルバイトをしているわけにはいかない…」と思うようになりました。

そこで、私が選択したのが「フルコミションの営業」です。

ご存じの方も多いと思いますが、営業会社はの中には学歴不問で「取り合えず入社させてくれる」ところがあるんですね。

ですから、フルコミッションの営業がどんな環境か知らずに「入社させてくれるの!?」と喜んで働くことにしたのですが…

飛び込みで新規開拓をする訪問販売は甘い世界ではなかったですね。

1年365日、お正月とお盆休み以外は朝から晩まで団地やアパート、社宅などを契約が取れるまで訪問し続けなければなりません。

私は「頼る人が居ない」という切羽詰まった状況だったので、1日8時間休憩を取らずに走って営業活動をし続けました。

運が良かったのかもしれませんが、結果的には人の5倍頑張ることで最初の給与(外交員報酬)から手取り40万円くらいもらえたんですよ。

「これしかない!」

そう思った私は休みなく働きづづけ、20代で年収1000万円、30代で2回起業して成功、また、プライベートでは38歳で12歳年下の女性と結婚し、年に2回は1週間程度の海外旅行に出かけるなど充実した日々を送ることができました。

ただ、そんな幸せな日々は長くは続かず、あっという間に崩れ去ることになるとは…

 

※ ちなみに、私がデイトレでついつい熱くなってしまうのは、営業マン時代や起業して頑張っていた時代に「才能も資格も何もない自分が成功するためには戦い続けるしかない!」とガツガツ戦っていたのが悪い癖として残っているのだと思います。

地獄へ真っ逆さま。10年間他人と話さない日々に突入

前置きが長くなってすみません。

ここからが本題の「10年間もの間、私が他人と会話もない人生を送ることになった原因」についてお話します。

 

38才で結婚して「ちょっと遅いけど、子供を作って人並みの人生を送っていこう」と思っていました。

そこで起きたのが「起業仲間からの裏切りによる会社の倒産と借金地獄」です。

会社名がバレてしまうかもしれないので詳しくは書きませんが、寝食共にした企業メンバーの裏切りによって「人財」も「金」も失い、更に取引先から訴えられて損害賠償をすることになってしまいました。

そして、経済力が無くなった途端、元妻は私を見限って他の男と不倫して出て行ってしまったんです。

目の前が真っ暗になるとはこういうことだと思いました。

連日、吐き気と謎の蕁麻疹が何度も襲ってくるなど、完全にメンタルが崩壊。

 

しかし、私に降りかかる悲劇はこれだけではありません。

 

4月に入った頃だったと思います。

突然の母親からの電話に出たら、こんなことを言われたんです。

「〇〇〇(私の名前)、今から病院の窓から飛び降りて死んでいいかな…」

冗談でもそういうことを言わない人なので驚きましたが、「今からすぐに行くから、それまで待っててよ!」と2時間半くらいかかる実家に車を飛ばして行きました。

そもそも入院していることも知らなかったので驚いたのですが、母親は既にステージ4の肺癌だったんです。

そして、病室で母親の話を聞いて言葉を失いました。

70才にもなる父親が今も母親に暴力や暴言を毎日のようにしているというじゃないですか。

私は「さすがに年を取って父親も大人しくなった」と思い込んでいましたが、それは「息子に心配をかけたくない」と母親が我慢していただけだったんです。

母親の遺品(10年日記)

※ 母親の遺品の日記(丸はDVを受けた日、赤丸はDVされた上に夫婦関係を強要された日)

 

「私の人生も残りわずかだから、せめて穏やかに過ごしたい…」

涙すら枯れてしまった痩せ細った母親が、力を振り絞って言った希望ですので、「それどころじゃないんだよ…」なんて口が裂けても言えません。

そこで、私は母親の退院の日の早朝に迎えに行って、私が住んでいる地域の病院に転院させることにしました。

更に、父親が私の家に訪ねてきて暴れる可能性もありますので、引っ越し、警察と役所へ捜索願の不受理届、そして「生きている間に離婚したい」という母親の希望を叶えるべく、第三者を入れて両親を離婚させるべく動いたのですが…

 

その結果、父親は3か月後の7月5日に、母方の実家の庭先で首を吊って自殺しました。

 

父親の死亡届のスクショ

※ 死亡届の死因の原因の欄

 

 

DVをする人は対象者に対する依存心があるので、その対象が居なくなってしまうと途端に弱くなってしまうんです。

下4桁が0110の警察からの着信で「もしかして」と思いましたが、「お父さんが亡くなられました」と聞いたときはショックが大きかったです。

その日のうちに警察に出頭し事情聴取を受け、霊安室で物凄い形相で横たわっている父親を見たときは頭が真っ白になって何も考えられなかった…

ただ、あとあと考えてみると、母親を守るためとはいえ自分が決断したことがきっかけで父親は自殺したので、「父親殺し」をしたことになります。

小さい頃から殴られたり怒鳴られたりしましたが、自分には父親の血が半分流れているわけで…

私は「父親殺しの十字架」を背負ってしまいました。

 

ちなみに、母方の実家は江戸時代から続く名家だったので、「〇〇家(母の旧姓)の家や土地をいわくつきにしてくれやがって!」と親戚は激怒。損害賠償の話に発展しました。

更に、父方の親戚からは「長男のくせに親父を追い詰めた」と思われたんでしょうね。直接言われたわけではありませんが、急に冷たくなりましたし、連絡がくることも無くなったんです。

これで親戚との関係がなくなりました。

 

「どうなってんだよ、俺の人生…」と自棄になりそうでしたが、抗がん剤で苦しみながらも肺癌と戦っている母親を残して死ねません。

だんだんと弱っていく母親の姿を見ていると本当にこっちも病んできますが、「出来る親孝行は、お見舞いに行って楽しく話すことくらいしかない」と思って笑顔で対応し続けました。

そして、12月29日午前4時。
母親がこの世を去りました。

泣きました。
人生で一番泣きました。

そのときに止まらない涙を隠すためにしていたのが、Twitterのアイコンでかけているサングラスです。

今でもふとしたときに思いだすと涙が出るので、外出するときはサングラスを外せなくなってしまいました…

 

他にも多くの悲劇が経った2~3年の間に次々に起こって、私の心は完全に折れてしまいました。

メンタルだけでなく、体中に異変が起きていたので絶対にどこかおかしくなったいた可能性もありますが、「どうにでもなれ」という心境だったので、それ以来健康診断も10年間1度も受けていません。

 

もしかしたら、「誰か話を聞いてくれる友人はいなかったの?」と思った方もいるかもしれません。

ただ、あまりに不幸が連続して襲ってきたので、「大切な友達を不幸に巻き込んではいけない」と自分から縁を切ってしまったんです。

そして、私は完全なる天涯孤独になりました。

 

母親を見送るという使命を果たした途端、何もする気が起きなくなり40~50歳までの10年間も人生に空白期間を作ってしまったんです。

もちろん、その間何もしなかったわけではありません。

ただ、ネットビジネスにしてもそうですが、「情熱」や「気力」が無ければ上手くいきませんね。

微々たる収益では生活できませんので、損害賠償などを支払ったあとに残ったお金や稼いでいるときに購入したものなどを売って生活してきました。

情けないですが、これが私のリアルです。

 

そんな中、デイトレに出会いました。

株はいろいろと覚えなければならないことも多く、9時~15時まではPCの前に拘束されるので、夢中になってやっていると嫌なことを忘れられるんですよね。

実は、私は法人営業をしていたときに全国の多くの会社に訪問して社長と商談していたことがあるので、その当時は未上場だった会社が上場していたりすると「お!」って思うんです。

久々に「嬉しい」とか「楽しい」という感情を思いだしました。

ですから、できればデイトレをやめたくありません。

一方で「余剰資金ではなく生活費」を使っていますし「いきなり専業」ですので、負け続けるにも限界があるというのが、私の正直な気持ち、置かれた状況です。

 

長くなりましたが、だいたいこんなところです。

最初に書きましたが、「そのメンタルでは無理だよ」とか「そんな状態でやってたって破産するだけだよ」など、正直に思ったことを教えて下さい。

株の他にやることもやりたいこともありませんが、あまりにも負け続けているので「ちゃんと考えるべきタイミング」だと思ったので。

 

 

もしかしたら、あまりにネガティブな内容なので、私のことが嫌いになってしまった方には謝罪します。

あと、親身になってアドバイスをくれたり、いつも気にかけてくださっているRょーへーさんにも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

先日も大負けした日にDMで声をかけてくれて、いろいろアドバイスを頂きました。

デイトレで勝てるようになって、Rょーへーさんへ恩返ししたいのですが、半年以上やってその兆しすら見えない自分が不甲斐ないです。

Twitterでお声をかけて頂いた方にも本当に感謝しています。

長文の上に私のつまらない身の上話を読んでいただきありがとうございました。

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